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回想自転車旅行記~34

1969 2月21日 金曜日 晴れ

 このY.H(マルセイユユースホステル)に居ると食事だけが楽しみだ。昼食後ホステルで出会った仲間と3人で街に出てみる。近くのアパート周辺を歩いてみるが特別にフランスという雰囲気を感じることもなかった。この国の昼休みは2時間以上ある。彼らののんびりとした1日の生活を見ていると、日本で過ごした僕の生活は何だったのだと思う。公園のベンチにて日光浴をしている者、街角の空き地で鉄玉を投げてビリヤードの様なゲームをしている老人達、歩道に乳母車を止めて編み物をしている主婦、1日を味わいながら生活している感じが非常に強い。これで彼らが長生き出来なければおかしい。日本人ももっとこの様な生活習慣を学んで良いと思う。(もっとも経済的に許されるなら)。今の日本の「お金を稼ぐだけの生活」から趣味や楽しみを味わいながら暮らせるようになるには何年かかるだろう。ヨーロッパの人にとって労働は余暇をエンジョイして人生を楽しむための資金調達手段。 日本では生活するための必要経費を稼ぎ出すもので、ちょっと余ったら皆でワイワイ言いながら酒を飲むか、人込みの行楽地に行くぐらいだ。

「あの頃には40年経た現在の日本を想像出来ませんでした」

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和歌山で家を建てる 浅井良工務店

回想自転車旅行記~33

1969 2月19日 水曜日 曇り後雨 PM 3:00 12℃

 今日の予定はトゥーロンまで110Km。あいにくの雨模様。どうもヨーロッパに入ってから雨が多くて走りにくい。しかしスカッと晴れた時の気持ち良さは最高だ。足もとも軽やかにサイクリングが出来る。今日は少し追い風気味なので思い切り飛ばすことにしょう。地中海の海岸線といい海の色といい「素晴らしい」の一言につきる。本当にこういう所で長期滞在したいものだ。また、昨日行ってきたモナコの海洋博物館に広重の鯛や鯖の絵が展示されていたのには驚いた。日本の最高級クラスの作品がこんな所まで持って来られているとは。異国で見る日本の作品も味わい深い。地下の水族館には世界各国の魚がいてとても面白かった。館内に水族館らしい音楽を流してムードを上げているところなどは流石シャンソンの国だけある。今日はどうも登り坂が多くて疲れる。最後の大きい坂450mぐらいだったが、この一週間の疲労が押し寄せたのか動けなくなり、八百屋にてレモンを買って丸ごとかじると、腹の中が燃えるようになってきた。
 夜、寝る場所を捜しながら走っていると8時ごろ予定地を越えてマルセイユのセンターまで来てしまう。

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生け花

新年あけましておめでとうございます。皆様におかれましてはお健やかに新しい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い致します。

 私は茶道を習った事がないので茶花についてあまり良く知らないのですが、茶室やお寺の床の間・廊下・厠などによく生けられています。バランスがうまく保たれ、きりっと生けられたそのたたずまいは自然にあるかのように心の奥に響いてくるような姿かたちをしています。生けられたものにはまるで別の命が宿ったかのような存在感をしめして、見るものに対して強烈な印象を一瞬にしてあらわします。これこそ茶花を生ける醍醐味でしょう。通常、茶花は年中行事や茶事に合わせるそうですが、家庭で生けるときはその季節に応じた花や枝、葉の力を選び、完璧にしようと思わなくとも日常にこの茶花があることで家の雰囲気はぐっとしまるのではないでしょうか。一本入れてみませんか。

春=椿、梅、山吹、牡丹、杜若 夏=木槿、蓮、朝顔、鬼灯、蒲
秋=桔梗、撫子、浜菊、杜鵑草 冬=水仙、木瓜、蝋梅、薮柑子


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回想自転車旅行記~32

1969 2月18日 火曜日 晴れ PM 3:00 15℃

 午前中、モンテカルロ・モナコの街に観光に出る。噂に聞いたカジノに行ってみたがオシャレな制服を着た門番のおっさんが薄汚い無精ひげを生やした僕を睨みつけるので、写真を撮って早々に引き揚げてきた。建物は外装から見ても相当立派なものだ。ここだけでなくイタリアのリビエラといい、フランスのコートダジュ-ルといい私ども貧者の来る所ではないらしい。この辺はお金が有り余り使うのに四苦八苦している人達が居る所らしい。この海岸筋のどの街に行ってもヨットハーバーがあり、日本では見られないほどお金をかけたヨットやクルーザーが浮かんでいる。おそらくあのボート1隻で僕が一生遊んで暮らしても余る位の金額はするはずだ。この辺に住んでいる人達は何か優々としていて、少しもせかせかした所がない。一日で体を使うのは朝夕2回海岸を夫婦で散歩するだけじゃないのかな?高価な車を持って、豪華な家に住み、最高のフランス料理を食べ、ビンテージの美味しいワインを飲み、夏にはヨットやメガボートで地中海を散歩する。思っただけでむかむかしてくる。去年走ってきたパキスタンやアフガンの子供達が学校へも行けずに働いていた世界とは天国と地獄のような差だ。

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回想自転車旅行記~31

1969年 2月16日 日曜日 曇り時々雨 PM3:00 12℃

 目が覚めたのは9時を少し回ってから、昨晩のビールが効いたのか良く眠れた。駅員が何か文句を言ってくるかと思ったが、何も言わずに寝かせてくれたのがありがたい。花のリビエラと案内状に書かれていたがそれほど暖かくはない。しかし、海の色の美しいこと、又海岸線に沿って花壇で美しい公園を整備しているのは他の土地では見られなかった。特に海の色がコバルトブルーに輝いて素晴らしい。浜辺もきめ細かいソフトな砂なので海水浴場としては最高の条件を兼ね備えている。ホテルなども僕たちがとても近づけない豪華なのが立ち並んでいる。モーターボート・セーリングボート・メガヨット、日本では見たことのない高価そうなのが所狭しと並んでいる。どうやらヨーロッパの人はお金が有り余っているのか、つまらない所に金をかけるものだ。今日は日曜日なので老夫婦・若いカップル・子供づれが腕を組んだり手をつないだりしながら海岸を散歩している。老夫婦が海岸線を腕を組んで歩いているのを逆光のシルエットで見ているとなかなか洒落たものだ。日本人の所得がもう少し上がればこの様な風景が見られ、昼食はレストランでという事になるのだろう。今日も駅で寝かせてもらう。


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回想自転車旅行記~30

1969年2月14日 金曜日 曇り午後より雪 PM2:00 3℃

駅の待合室で寝ていると1時頃、ポリスが起こしに来て「ここを閉めるので出ていけ」と言う。殺生な話だ。外は冷たい風が吹いているというのに。「何処か寝る所がないか」と聞くと「金を出してホテルへ行け」などばかげたことを言う。お金に余裕があれば、わざわざこんな所に寝に来ないわ。今さらどうしようもなく、駅の横に歩み板があったのでそれを敷いて寝袋で寝ることにする。服を着たままで寝袋に入ったがやはり少し寒かった。まあ、仕方がない。お金さえ出せばこういう事にはならないのだから、しかし僕は無銭者ではなく少しだがお金は持っている。ただ今使う事が出来ないだけだ。解ってくれよ、ポリスのおっさん。5時ごろ又、待合室に行ってみると開いていたのでもう一度ここで寝なおしをする。やはり外より寝こごちがよい。寝袋を日航に預けて今日半日はミラノ市内見物だ。ミラノ城もなかなか美しい中世の城としては代表的なものらしい。煉瓦造りで味わいがある。サンタマリア・グラッツエ寺院に入ると正面にあの有名な「最後の晩餐」の壁画があり迫力満点だ。世界に名声高きスカラ座に期待をしていたが、ちょっと期待が外れた感あり。それでもミラノは文化都市だけあって名建築が多いようだ。PM3:00ミラノを出発。

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回想自転車旅行記~29

1969年2月12日 水曜日 雨 PM3:00 9℃

 朝の出掛けから雪が降っているので走るのが億劫だが、こんな所(建築現場)にもう一泊なんてとても出来ないから仕方なく出発する。追い風でスピードが出る、これで雨が上がってくれたら最高なのだが。オーバーシューズの底が抜けているので雨が入ってきてとても冷たい。雨足が急に強くなったので途中の農家に雨宿りをお願いし、飲み水をもらいに行った。すると「寒いのなら中に入らないか」と言ってくれ、コーヒーまでいただいた。こういう時のコーヒーは最高に美味しく心の中まで暖かくなる。雨がやんだようなので走る、12時前だというのに凄く腹が減っている、走っていると3時間ごとに食事が必要だ。
 今日は、昨日のように山道がないので楽しいサイクリングと思っていたら、又雨が降りだした。雨宿りする所もなく走っていると、後ろから来た長距離トラックの運ちゃんが「何処まで行くのか?」と聞くので「ジェノバだ」と言うと「おれも行くから乗って行け」と言ってくれた。雨宿りのつもりで乗せてもらうことにする。イタリア人は気さくで、親切な人が多い。彼らは最終ミラノまで行くとのことなので言葉に甘えて便乗することにする。

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被災地支援ボランティア

 和歌山県災害ボランティアセンターが、被災地支援ボランティアバス参加者募集をしていたので、8月5日から8日まで参加してきました。支援地は岩手県の大槌町で、皆さんもテレビでご覧になったと思いますが、3階建ての民宿の屋上にヘリーボートが乗っていた所です。
 町のがれきは、ほとんど整理され一ヶ所に山積みされていました。平地の木造住宅は、基礎のみ残し、鉄骨の建物は、2階まで柱が残っており、鉄筋コンクリートの建物は、躯体だけになっていました。 石積みの敷き台に乗っていた鉄筋の10坪位の蔵が5メートルぐらい流されていました。15メートルから20メートルくらい以上の高台にある建物は、外から見る限り地震による被害はあまり見受けられませんでした。倒壊した家もなければ、外壁のクラックや瓦のズレも、バスで見て回ったが、地震の大きさから観ると少ないようでした。
 私たち、女性7名と男性8名の支援作業は、海岸からそれほど遠くないお寺の墓地に堆積された土砂やがれきの撤去です。ブロック3段で区画された15坪位の墓地に、倒れて、割れて、焼けた墓石の上に津波で流れて来た鍋・皿・お椀・人形・空気入れ・便器の破片・セーター・土砂・がれきなどが40cm程おい被さっていました。 スコップで土嚢に入れたり、一輪に積んで100mほど離れた廃材置き場まで運びます。一区画を綺麗に掃き掃除までするのに15名で2日かかりました。
 高台にある墓石は、倒れもせず、火に焼かれることもなく、何ごとも無かったように立っていますが、その1m下方は、津波と火災で散々足るものです。お盆前でしたので、12、3組みの花と線香を持ってお参りに来られている方々がいました。ある人は、どうしようも無い自分の墓地のがれきに花と線香を立てて帰って行きました。
 作業日が土・日曜日でしたので、この墓地に来ているボランティアは100名以上来ていたと思います。しかし、復旧までまだまだかかりそうです。
 短い時間のボランティアで何程の事も出来ませんが、微力ながらも又近いうちに参加したいと思っています。

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回想自転車旅行記~28

1969年2月11日 火曜日 曇り PM3:00 12℃

昨晩はほんの3、4時間寝かせてもらっただけ、警察官が夜中に再三起こしに来てなかなか寝かせてくれない。旅行でドルを落としに来ている旅人を大事にしもっとサービスしても良さそうだが。仕方なく荷造りをして駅を出る。まず食料を買い込みに例の公園のマーケットへ行く。リンゴとハムとパンを買う。本当に安いイタリアに入ってここが一番安い。
 スイスツーリストに行ってあのユングラフヨッフォ行きの切符の件を聞いたら、10ドルとのことで安心した。それなら別に慌てて買うこともない。現地にて買うことにする。昼前に大使館に行ったがまだ手紙が配達されていないらしい、正午に来るとの事なので待っていたら日本人の旅行者で 「バーに行って詐欺に遭った」と泣き言を言いに来ているおっさんに会う。大使館は不親切だとぶつぶつ不平を言っていた。少々金が出来たからといって大きな顔してローマまで来てバーなんかに行くからだ。今日はローマより93キロ建築中の家にでも寝るとするか。

リンゴ 100L ハム 400L パン 150L ネッカチーフ 700L
ワッペン 700L ビイノ 100L

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Forward to 1985 energy life

 当社の社員も「重量木骨の会」の講習でお世話になっている、住まいと環境社代表の野池政宏氏が提唱する「Forward to 1985 energy life」運動のキックオフミーティングが6月13日に東京で開かれました。この運動は、東日本大震災以降続く原発危機・電力不足をはじめとするエネルギーに関する諸問題を住宅の省エネ化で軽減するもの。住宅のエネルギー消費量・電力消費量を半分にすることで原発も半分にしていくことを目指す。「半分」の手法は、自立循環型住宅、パッシブデザイン、省エネリフォームで1985年の電力消費量に戻そうという考え方です。詳しくは、「Forward to 1985 energy life」でホームページを読んで下さい。
 皆さんもこの夏から始めてみませんか。日差しや西日の入る窓にゴーヤを植えたり、すだれやオーニングをかけたり、雨水を溜めておいて玄関先や庭に打ち水をしたり、今からすぐ出来ることでこの夏の電気代が下がるかも。  

「Forward to 1985 energy life」のHPアドレス:http://to1985.net/


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